2011年3月11日に起こったこと

■震災発生後14日目
そのとき私は東京の自宅で仕事をしていた。
地震を感じたが、しばらく待機、その後尋常じゃない揺れだと考え机の下に避難。
52年生きてきたが初めて感じた揺れ方。
縦揺れ、横揺れというより、嵐の中でヨットに乗っているような不思議な感覚。
大袈裟と思われるかもしれないが「これまでか?」と覚悟した。
ようやく地震が収まり、家族の安全確認をする。
2人の息子は休みで自室にいたから、すぐに確認出来た。
家内は勤務中なので安否の報告してくれる様メールしておく。
しばらくすると家内からも被害なしのメールが来たので一安心。
テレビを付けると今回の地震が恐ろしい規模で発生した大災害だということが分った。
家内は岩手県出身で親兄弟、親戚が岩手県内に在住している。
とくに、姉は大槌に嫁ぎ、2人の子供と御両親の6人が大槌で暮らしている。
釜石と大槌はほぼ壊滅状態だと言う。
安否が全く分らず、時間が過ぎていく。
3日後に姉夫婦と子供の安全が確認出来た。
今現在、御両親の安否が確認出来ていない。
こちらからは連絡していない。
たまに家内の姉から連絡がある。
彼女が被災したのは大槌の小学校で、普段は緊急時の避難所に指定されているところである。
海辺の町によくありがちな前は崖に面した道路で後ろは山、ほんの少しの平地に集落が形成されていて、その学校は高さがあるので避難所に指定されていたのだろう。
被災当時はあっという間に校舎の2階まで水が上がってきたそうだ。
児童、町民とともに獣道を必死で逃げたそうだ。
その後も孤立期間が長かったが、ようやく自衛隊が徒歩で救助に入ってきてくれたそうで、なんとか助かることができた。
今日花巻温泉が自前のバスの送迎付きで、大槌の被災者を温泉、昼食に招待すると言う。
少しほっとできると思う。