やっぱりガバが好き(6)

ガバメントの話が多い(笑)
子供の頃からハンドガンといえばガバメントとピースメーカー(西部劇に出てくるやつ)なんだよな。
その存在理由から言うと、正直躊躇するものがあるけれど、軍用品のメカニズムには強く惹かれるものがある。
実用最優先のデザインは芸術とは程遠いかも知れないが、何ともいえず美しい。

M1911A1 .45ACP

第二次大戦中はコルト以外にミシンメーカーのシンガー(Singer)も、ガバメントを製造していた。
他にもレミントンランド、イサカ、ユニオンスイッチ&シグナルでも製造されていたらしい。
このあたりの事情は25番というサイトで詳しく解説されている。
私の家はテーラー(注文洋服店)だったので、ガバメントはなかったものの、シンガーミシンは沢山あった。
もう時効だと思うので話すが、私が子供の頃、近所のオヤジがガバメントを持っていたのを見せてもらったことがあった。
そのオヤジは別に特殊な職業の方ではなく、同じ商店街の靴屋の店主であった。
何でも、大戦中は一式陸攻の前方銃座の射撃手だったとかで、その時のお土産だといっていた。
本人曰く、「私(旧帝国軍人)が持っているのは構わない」とのことだったが、子供心にも「そんな、わきゃねぇだろ!?」と思っていた(笑)
事実、終戦直後のしばらくの間は銃を持つのを禁止されていたわけではないらしいが。
そのオヤジの話では、自分の他にも南部14年式拳銃や38年式小銃を後生大事に天井裏に隠していたオヤジがいたらしい。
今考えると凄い商店街だったなとは思う。
そのオヤジもとっくに亡くなってしまったが、軍隊時代の訓練の様子や戦争の話を良くしてくれた。
自分の失敗談を面白おかしくしてくれるので、私たち戦争を知らない子供達は大笑いして聞いていたが、ふと「オレみたいなのが兵隊だったんだから、日本も戦争に負けるわけだよな」と凄く寂しそうな顔をしてつぶやいたことがあるのを覚えている。
その時は何とも思わなかったが、今考えると口には出来ない色々な思いがあったのだろうと想像している。
件のガバメントも持ち帰った者がいれば、それ以前の持ち主だった者もいる。
戦争というのは国と国との争いであるが、実際に戦わされていたのは一人、一人の人間だったんだなとあらためて思う。